自らの歴史認識 さあ韓国にできますかどうか
この日本に向かって好き勝手な評論をしている癖に、自らの国史のほうがずっと汚らわしいではないか。
私が見ている前で、徹底的に反省して謝罪してみろ。
韓国:民主化宣言後、究明進む弾圧事件 在日韓国人も再審請求 名誉回復求め支援組織
毎日新聞 2011年3月7日 東京朝刊
韓国では80年代まで続いた激しい民主化運動の中で、多くの人が政治犯として摘発された。しかし、冤罪(えんざい)も多く、現代史の見直しに積極的だった盧武鉉(ノムヒョン)前政権時代には、既に執行された死刑囚に対する再審無罪判決も出た。そうした流れの中で、韓国滞在中に政治犯として処罰された在日韓国人も、名誉回復を求めて声を上げ始めた。【ソウル西脇真一】
朝鮮半島では70年代中ごろまで、韓国と北朝鮮の国力が拮抗(きっこう)した。韓国の当時の政権は「北朝鮮の脅威に対し、自主国防と経済建設を優先させるには、自由の制限もやむなし」と考えた。
政府転覆を謀ったとして活動家らを大量に逮捕した「民青学連事件」(74年)▽国家保安法違反罪で死刑判決を受けた8人を判決から18時間後に執行した「人民革命党事件」(75年)▽デモ鎮圧に軍を投入し多数が死傷した「光州事件」(80年)--などが起きた。
87年の民主化宣言以降、政権は過去の弾圧事件などの見直しを進めた。盧武鉉・前政権時代の05年には「真実・和解のための過去事整理委員会」が発足し、過去の事件を掘り起こす一方、情報機関や軍も真相究明に取り組んだ。
その結果「民青学連事件」などが時の政権の「でっち上げ」と認定され、07年には「人民革命党事件」で絞首刑となった8人の再審無罪も確定した。
昨年6月に実質的な活動を終えた同委によると、8450件の真実を究明したが、スパイ事件捏造(ねつぞう)など人権侵害事件は238件だった。数字が予想より少なかったのは「『国家機関はもう信用しない』『静かにしておいてほしい』という人が多かったのも一因」(同委の元調査担当者)だという。
◇捏造被害約300人か
一方、70~80年代に留学や就職で韓国滞在中に摘発された在日韓国人政治犯も重い口を開け始めた。事件捏造の被害者は約100人、その知人ら関連被害者を含めれば約300人とも言われるが、実態は不明だ。
北朝鮮から韓国には直接入れないため、当時、北朝鮮は日本を経由した韓国工作を活発化。日本では親韓国と親北朝鮮が入り交じって暮らしている。
韓国で約15年服役した神戸市の会社員、李憲治(イホンチ)さん(58)は「北朝鮮でスパイ教育を受け韓国で機密収集にあたった」と無期懲役の判決(82年に確定)を受けた。
これに対し、昨年5月に同じ境遇の仲間と「在日韓国人良心囚の名誉回復を求める会」を結成、韓国での再審請求などに取り組み、自身については再審で無罪判決を勝ち取ったが、検察側が上訴した。李さんは今「当時の政権が延命などのために在日の特殊性を利用し、事件を捏造した」と語る。韓国政府には在日被害者専門の調査機関設立を求めている。
また、長期収監で再入国期限内に日本へ帰れず、在日韓国人に特別に認められた「協定永住権」(当時)を失った人もいる。「今も一般外国人としての永住権しかなく、入国審査では指紋をとられる」(李さん)。日本での資格回復も課題だ。
韓国ではこうした運動をサポートする動きも出て、弁護団も最近組織された。人民革命党事件の8人の遺族が、国からの賠償金を出し合うなどして設立した「4・9統一平和財団」の安珠里(アンジュリ)事務局長(42)は「韓国もようやくここまで来た。同じ被害者である在日同胞にも支援が必要だ」と話す。
◇84年に国家保安法違反罪で連行、4年間服役--奈良市・尹正憲(ユン・ジョンホン)さん(57)
◇取調官が「怪しいやつ教えろ」
国家保安法違反罪などで約4年間服役した奈良市の尹正憲さんに話を聞いた。尹さんは1月にソウル中央地裁で再審無罪判決を受けたが、検察は控訴した。
京大卒業後、社会人生活を送ったが、韓国で医者になろうと80年に高麗大に編入した。84年8月、自宅前で「警察」を名乗る男に呼び止められ、連行された先は軍だった。
暴力や拷問を受けた。手足を縛られ、タオルを顔にかけられた状態で上を向かされた。タオルに水をかけられて息ができなくなる。ついに「北朝鮮に行った」と認めてしまった。日本の家族の元に電話をさせられ「大学の教授が伺う」と言わされた。
その後、「教授」を名乗る男が訪ねてきたという。その人物は、北朝鮮と関連のある「物証」を物色し、姉の朝鮮史の書籍を持ち出し、当局はこれを裁判所に証拠提出した。
韓国では言動に気を付けていたし、連行される者は何らかの理由があると思っていた。取調官から「怪しいやつを教えろ。公訴保留にしてやる」と言われたことがある。ある日、建物の廊下を在日の知人が(協力者のような感じで)歩いているのを見かけ、「私は(当局に)売られたのか」と衝撃を受けた。
失った物は多いが、得たものもある。「真実」のありかを、身をもって知ったことだ。
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■ことば
◇韓国の民主化
韓国では、北朝鮮と戦火を交えた朝鮮戦争(1950~53年)後、「反共」を掲げる強権的な体制が続いた。その時々で民主化運動が起きた。63年就任の朴正熙(パクチョンヒ)大統領は高度経済成長を実現する一方、非常戒厳令や大統領権限強化など独裁色を強めた。79年の朴氏暗殺で全斗煥(チョンドゥファン)少将(当時)が軍の実権を掌握し、80年に大統領に就任。87年4月、全大統領が大統領直接選挙制への改憲を棚上げすると、全国でデモが起き、元軍幹部で次期大統領候補だった与党の盧泰愚(ノテウ)代表委員が同6月、改憲や言論自由化などの「民主化宣言」を発表。全大統領も受諾した。
私が見ている前で、徹底的に反省して謝罪してみろ。
韓国:民主化宣言後、究明進む弾圧事件 在日韓国人も再審請求 名誉回復求め支援組織
毎日新聞 2011年3月7日 東京朝刊
韓国では80年代まで続いた激しい民主化運動の中で、多くの人が政治犯として摘発された。しかし、冤罪(えんざい)も多く、現代史の見直しに積極的だった盧武鉉(ノムヒョン)前政権時代には、既に執行された死刑囚に対する再審無罪判決も出た。そうした流れの中で、韓国滞在中に政治犯として処罰された在日韓国人も、名誉回復を求めて声を上げ始めた。【ソウル西脇真一】
朝鮮半島では70年代中ごろまで、韓国と北朝鮮の国力が拮抗(きっこう)した。韓国の当時の政権は「北朝鮮の脅威に対し、自主国防と経済建設を優先させるには、自由の制限もやむなし」と考えた。
政府転覆を謀ったとして活動家らを大量に逮捕した「民青学連事件」(74年)▽国家保安法違反罪で死刑判決を受けた8人を判決から18時間後に執行した「人民革命党事件」(75年)▽デモ鎮圧に軍を投入し多数が死傷した「光州事件」(80年)--などが起きた。
87年の民主化宣言以降、政権は過去の弾圧事件などの見直しを進めた。盧武鉉・前政権時代の05年には「真実・和解のための過去事整理委員会」が発足し、過去の事件を掘り起こす一方、情報機関や軍も真相究明に取り組んだ。
その結果「民青学連事件」などが時の政権の「でっち上げ」と認定され、07年には「人民革命党事件」で絞首刑となった8人の再審無罪も確定した。
昨年6月に実質的な活動を終えた同委によると、8450件の真実を究明したが、スパイ事件捏造(ねつぞう)など人権侵害事件は238件だった。数字が予想より少なかったのは「『国家機関はもう信用しない』『静かにしておいてほしい』という人が多かったのも一因」(同委の元調査担当者)だという。
◇捏造被害約300人か
一方、70~80年代に留学や就職で韓国滞在中に摘発された在日韓国人政治犯も重い口を開け始めた。事件捏造の被害者は約100人、その知人ら関連被害者を含めれば約300人とも言われるが、実態は不明だ。
北朝鮮から韓国には直接入れないため、当時、北朝鮮は日本を経由した韓国工作を活発化。日本では親韓国と親北朝鮮が入り交じって暮らしている。
韓国で約15年服役した神戸市の会社員、李憲治(イホンチ)さん(58)は「北朝鮮でスパイ教育を受け韓国で機密収集にあたった」と無期懲役の判決(82年に確定)を受けた。
これに対し、昨年5月に同じ境遇の仲間と「在日韓国人良心囚の名誉回復を求める会」を結成、韓国での再審請求などに取り組み、自身については再審で無罪判決を勝ち取ったが、検察側が上訴した。李さんは今「当時の政権が延命などのために在日の特殊性を利用し、事件を捏造した」と語る。韓国政府には在日被害者専門の調査機関設立を求めている。
また、長期収監で再入国期限内に日本へ帰れず、在日韓国人に特別に認められた「協定永住権」(当時)を失った人もいる。「今も一般外国人としての永住権しかなく、入国審査では指紋をとられる」(李さん)。日本での資格回復も課題だ。
韓国ではこうした運動をサポートする動きも出て、弁護団も最近組織された。人民革命党事件の8人の遺族が、国からの賠償金を出し合うなどして設立した「4・9統一平和財団」の安珠里(アンジュリ)事務局長(42)は「韓国もようやくここまで来た。同じ被害者である在日同胞にも支援が必要だ」と話す。
◇84年に国家保安法違反罪で連行、4年間服役--奈良市・尹正憲(ユン・ジョンホン)さん(57)
◇取調官が「怪しいやつ教えろ」
国家保安法違反罪などで約4年間服役した奈良市の尹正憲さんに話を聞いた。尹さんは1月にソウル中央地裁で再審無罪判決を受けたが、検察は控訴した。
京大卒業後、社会人生活を送ったが、韓国で医者になろうと80年に高麗大に編入した。84年8月、自宅前で「警察」を名乗る男に呼び止められ、連行された先は軍だった。
暴力や拷問を受けた。手足を縛られ、タオルを顔にかけられた状態で上を向かされた。タオルに水をかけられて息ができなくなる。ついに「北朝鮮に行った」と認めてしまった。日本の家族の元に電話をさせられ「大学の教授が伺う」と言わされた。
その後、「教授」を名乗る男が訪ねてきたという。その人物は、北朝鮮と関連のある「物証」を物色し、姉の朝鮮史の書籍を持ち出し、当局はこれを裁判所に証拠提出した。
韓国では言動に気を付けていたし、連行される者は何らかの理由があると思っていた。取調官から「怪しいやつを教えろ。公訴保留にしてやる」と言われたことがある。ある日、建物の廊下を在日の知人が(協力者のような感じで)歩いているのを見かけ、「私は(当局に)売られたのか」と衝撃を受けた。
失った物は多いが、得たものもある。「真実」のありかを、身をもって知ったことだ。
==============
■ことば
◇韓国の民主化
韓国では、北朝鮮と戦火を交えた朝鮮戦争(1950~53年)後、「反共」を掲げる強権的な体制が続いた。その時々で民主化運動が起きた。63年就任の朴正熙(パクチョンヒ)大統領は高度経済成長を実現する一方、非常戒厳令や大統領権限強化など独裁色を強めた。79年の朴氏暗殺で全斗煥(チョンドゥファン)少将(当時)が軍の実権を掌握し、80年に大統領に就任。87年4月、全大統領が大統領直接選挙制への改憲を棚上げすると、全国でデモが起き、元軍幹部で次期大統領候補だった与党の盧泰愚(ノテウ)代表委員が同6月、改憲や言論自由化などの「民主化宣言」を発表。全大統領も受諾した。
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