安部首相が自民党のトラストミーになる(笑)

安倍「君と僕は同じ未来を見ている。ゴールまで2人の力で駆け抜けよう」。
プーチン「きもっ」。

領土を他国に割譲したら死刑にすることを憲法レベルで定めている国すらあるというのに、経済協力さえすれば領土が手に入るみたいな感じで気軽に片付けようとする日本の外交は、一体誰が設計しているのか。安倍さんの個性も影響しているだろうが、それを積極的に後押ししている官僚がいるでしょ。日本の外国研究を統括しているやつは表に出てこいと言いたい。一度顔を見てみたい。

萩生田だったか安倍の側近が少し前に口を滑らしたばかりに、ロシア側が警戒心を一気に高め、進展は望めなくなったというのに、いまだに若気の至りで結婚に突っ走る若いカップルのような言葉を外交交渉の場で使って、日本が馬鹿面を世界に晒したも同然。



【ロシアを読む】安倍首相の「信じて」に“アル・カポネの名言”でプーチン氏が反論
2019.9.18 07:00国際欧州・ロシア
産経
https://www.sankei.com/world/news/190918/wor1909180001-n1.html

 ロシア極東地域の発展をテーマに、極東ウラジオストクで開催された露主催の国際会議「東方経済フォーラム」。5日に行われた参加各国の首脳らによる全体会合では、安倍晋三首相が有名なロシアの詩を引用しつつ、「日本を信じてほしい」とプーチン露大統領に日露平和条約締結を呼びかけた。しかしプーチン氏は著名な米国のギャング、アル・カポネの“名言”を引用して反論。平和条約に対する両首脳の温度差を際立たせた。ロシアの国内事情やプーチン氏の発言を通じ、ロシアにいま何が起きているのかを分析した。(モスクワ 小野田雄一)

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 全体会合で安倍首相は「今から引用するのは皆さんが良くご存じの四行詩です」と前置きした上で、19世紀のロシアの詩人、チュッチェフの有名な詩を読み上げた。

 〈ロシアは、頭ではわからない〉〈並の尺度では測れない〉〈何しろいろいろ、特別ゆえ〉〈ただ信じる。それがロシアとの付き合い方だ〉

 安倍首相はその後、「詩のロシアを日本に置き換えてほしい」と述べ、日本は信頼に足りる国だと訴えた。「経済・福祉・環境・雇用拡大などの各分野で日本はロシアに協力できる」との考えも示し、平和条約締結に伴う日本との関係強化のメリットを強調した。

 演説後半で安倍首相は「ウラジーミル(プーチン氏の名)。君と僕は同じ未来を見ている」「ゴールまで2人の力で駆け抜けよう」とも訴えかけた。演説には、停滞した平和条約締結条約交渉を何とか前進させたいという安倍首相の思いが強くにじんでいた。

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 しかし美辞麗句を重ねた安倍首相とプーチン氏の間には、冷たいすきま風が吹いているようにも感じられた。というのも、安倍首相に先立って演説したプーチン氏は、平和条約締結問題には一言も触れず、開発が遅れている極東地域への投資の成果や、今後の極東の発展計画への言及に終始したためだ。安倍首相の演説中も、プーチン氏は厳しい表情を崩さなかった。

 その理由として推察されるのは、ロシアの内政だ。フォーラム直後の8日には極東サハリン州で知事選が予定されており、プーチン政権に近いリマレンコ知事代行の苦戦が伝えられていた(結果は勝利)。同時にロシア国民の多くは、平和条約締結に伴う日本への領土引き渡しに反対している。プーチン氏には、低下傾向の続く自身や政権の支持率を浮揚させると同時にリマレンコ氏を勝利に導くためにも、国民の反発を招きかねない敏感な領土問題には触れずに、極東の明るい未来だけを述べる十分な動機があった。

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 両者の温度差は、全体会合が司会者との質疑に移った段階でさらに際立った。

 議題が平和条約締結交渉になると、プーチン氏は20世紀初頭の米国のギャング、アル・カポネが発したとされる「優しい言葉にピストルを添えれば、優しい言葉だけの場合よりもっと多くを得られる」との言葉を引用。同時に「平和条約締結問題は日本とロシアの関係だけにとどまらない。軍事や安全保障の問題がある。(日米安全保障条約に基づく)米国に対する日本の義務を考慮する必要がある」と述べ、日米安保条約の存在が平和条約交渉の障害になっているとの認識を示した。

 ロシア側はこれまでも、仮に北方領土を一部でも日本にも返還した場合、米国が島に戦力を配備し、ロシアの安全保障が脅かされる-とのシナリオへの懸念を示唆してきた。「日本は米国の意向に逆らえないだろう」との認識を示したこともあった。

 プーチン氏がアル・カポネの言葉を引用したのは、「国際社会は、安倍首相が述べたような“優しい言葉”だけを信じて相手と向かい合えるような甘いものではない」という意思表示だったとみて間違いない。

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 全体会合で改めて示された平和条約に対するプーチン氏の消極的ともいえる姿勢には、伏線もあった。プーチン氏は日露首脳会談を控えた5日未明、北方領土・色丹(しこたん)島に建設された水産物加工場など極東の複数事業の操業開始式典にビデオ中継を通じてウラジオストクから参加し、祝辞を述べたのだ。

 これまでロシアによる北方領土開発では、経済を主に担当するメドベージェフ首相や、露極東・北極圏発展省など経済関連省庁が前面に立つことが多かった。

 メドベージェフ氏が8月に択捉島を訪問した際も、日露外交当局者の間では「外交を取り仕切るプーチン氏や露外務省ではなく、経済系省庁が主導したものだろう。日本への挑発というよりも、極東の発展のアピールや、北方領土を事実上管轄するサハリン州知事選へのテコ入れが主眼のはずだ」「プーチン氏が北方領土開発の直接的関与を示していないのは、日本への配慮の表れだ」との見方が出ていた。そのため、日露会談直前にプーチン氏が北方領土開発事業に関与する姿を示したことは、日本側を戸惑わせた。

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 このプーチン氏の行動にも、サハリン州知事選に向けた選挙対策の側面があったとの推察は成り立つ。操業開始式典を取り仕切った地方政府側にも、極東を訪れたプーチン氏に自らの仕事ぶりを伝えたいとの思惑があったとみられる。それでも、日本の反発を予期していたはずのプーチン氏があえて式典に参加した事実は、プーチン氏の平和条約締結への意欲の減退を示している可能性が高い。

 プーチン氏の意欲の減退を事実だと仮定した場合、その背景には、経済低迷や言論統制の強化などでプーチン政権への国民の不満が強まっている中、国内世論を無視して日露平和条約を締結し、北方領土の日本への引き渡しが現実味を帯びれば、政権運営に大きなリスクになるとの危惧があるみられる。日米安保条約への言及も、半分は本心としても、残る半分は交渉を引き延ばすための口実に過ぎないとの見方も出ている。

 いずれにせよ確実なのは、日露平和条約交渉に目立った進展が見られないのは、米国との激しい対立や国内の政治基盤の弱体化など、プーチン氏の置かれた環境が大きく作用しているということだ。こうした状況が変わらない限り、日本がどれほど美辞麗句を重ね、日露関係正常化の魅力をアピールしたとしても、平和条約が実現する可能性は低いと言わざるを得ないだろう。

【新刊紹介】最強在日ヤクザの生涯:竹中明洋著『殺しの柳川ー日韓戦後秘史』

「朴大統領が暗殺された後、日本は韓国の新軍部実権派と親しいルートを失う。」

日本の外交って、こういうの多いね。一人死んだだけでコンタクト先がゼロになってしまうというお粗末人脈の話。中東でも。外務省の予算は世界でもトップクラスなのに、毎日何やって過ごしているんだか。



【新刊紹介】最強在日ヤクザの生涯:竹中明洋著『殺しの柳川ー日韓戦後秘史』
9/17(火) 16:31配信
nippon.com
斉藤 勝久
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190917-00010005-nipponcom-soci

悪化する日韓関係だが、1970~80年代には「日韓両国は運命共同体」と信じ、橋渡し役を務めた「在日」がいた。武闘派の暴力団組長が、組を解散してヤクザの世界から足を洗ってからの後半生は、闇に埋もれた日韓戦後秘史だった。

日本名、柳川次郎は1923年に釜山で生まれ、7歳で海峡を渡り、大阪で在日韓国人として生きた。最盛期には1700人の組員を抱え、全国広域5大暴力団に指定された「柳川組」の組長となり、「殺しの柳川」という異名で恐れられた。

警察の集中取り締まりで69年、組は解散に追い込まれる。この本は、元NHK、週刊紙記者の著者が、45歳で堅気になってから91年に亡くなるまでの柳川の生涯を追いかけている。柳川の関係者から丹念に証言を集め、日韓の政治家が次々と実名で登場してくるのは、実に興味深い。

柳川が組の解散を決意したのは、在日の少女の新聞投書だと言っていた。「あなたのおかげで日本にいる韓国人の中には、はずかしい思いをしている人がいっぱいいる」とあったという。しかし、著者は「美談に過ぎる」と断じ、「韓国への強制送還を(警察などから)ちらつかされたため」という説を挙げている。

金大中事件で日韓関係に亀裂が入った翌年の74年に「日韓親善友愛会」を設立。半年後に、韓国政府の招待で44年ぶりに祖国を訪れた。無類のプロレス好きだった朴正煕大統領から直々に依頼を受けると、アントニオ猪木対金一(大木金太郎)の「因縁の韓日対決」を韓国で実現。テレビ視聴率はなんと90%を上回り、各地を回った韓国興行は大成功だった。柳川は猪木、金一とともに青瓦台に招かれ、大統領は柳川をハグして感謝の気持ちを伝えたという。

朴大統領が暗殺された後、日本は韓国の新軍部実権派と親しいルートを失う。柳川は両国を頻繁に行き来して、祖国との太いパイプを築き、韓国軍の情報機関と深く関わった。特に全斗煥大統領時代には、政権中枢にまで影響力が及ぶようになる

柳川はこれまで暴力的なイメージが強いので、日本人社会だけでなく在日社会からも白眼視されてきた。しかし、「日韓関係が柳川のような人物たちによって、水面下で支えられてきたことは事実である」と著者は最終章で記している。
【Profile】

斉藤 勝久 SAITO Katsuhisa
ジャーナリスト。1951年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞社の社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当として「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。2016年夏からフリーに。ニッポンドットコムで18年5月から「スパイ・ゾルゲ」の連載6回。同年9月から皇室の「2回のお代替わりを見つめて」を長期連載。主に近現代史の取材・執筆を続けている。