40代で日本国籍・白参院議員「嫌韓がダメ」な理由

(1)国会議員になった途端、議員の間で回覧される各種文書、院内で交わされる各種の議論、見聞きする話を毎日、韓国語で新聞形式にまとめ、本国に送付している正真正銘のスパイが、何言ってんだか。お前なんかがきれい事を言っても、生粋の日本人は誰も信用しない。

「残りの40年は日本人の母の国籍で生きようと思い、40歳の時に日本国籍を取得することを決意した」とあるが、日本の立法府に潜り込むには、日本国籍を取得する必要性があったからに他ならない。

直前まで、韓国の保守系「朝鮮日報」で日本支社長を務めていた彼にとり、日本の国会の動向を本国に報告することが重要ならば、在日(韓国籍)ジャーナリストのままで実行することができたし、この程度の仕事は日常業務としてやっていたはずである。していなかったならば、支社長ではない。

議員になった初日から、日本の有権者向けの情報提供ではなく、韓国政府向けの情報提供に注力するということは、彼本人がというより、韓国側がもう一歩踏み込んだ情報を欲したから、わざわざ国籍を変えてまで日本の国会に潜り込んだとしか思えない。

徴用工問題について彼が韓国に乗り込み、あちこちに像を建てては決起集会を開いている連中の前に立ちはだかり、「止めなさい」と説得している彼の姿を、一度も見たことがない。彼の主たる仕事は、日本の国会内の動向を本国に詳細に報告すること。

(2)国際政治は、学校のクラス内の友人関係と同じで、くっついたり離れたりするもの。「嫌韓は駄目」とか「皆仲良く」を教える人は、全く役に立たないばかりか、有害なことを教えている。

(3)記事の範囲に限定しただけでも、彼は長々と話しているが、「韓国と仲良くしたら、日本にとり一体どのようなメリットがあるのか」について、一言も言及がない。

何らかのメリットがなければ、付き合う必要はない。隣に住んでいるけど一緒に行動しない人など、沢山いる。

(4)今の韓国人を見て、「日本人が違いを楽しめるか」に対する配慮がゼロである点に、彼の「内心の立ち位置」を垣間見ることができる。彼に関する事実とキャッチフレーズは、日韓ハーフかもしれないが、一番重要なのは「内心の立ち位置」だ。

立憲民主には、両親ともに生粋の朝鮮人であり、日本人の血が1滴も入っていない議員がいる。内心まで読むことはできないから、表面に現れる言動から推察するしかない。この人たちに、重要な日本の運命を託して本当に大丈夫なのか、生粋の日本人は何度も熟慮しなければならない。法律を決めるのは国民ではなく、官僚でもなく、国会議員だから。



40代で日本国籍・白参院議員「嫌韓がダメ」な理由
毎日
6/5(水) 9:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190605-00000010-mai-pol

 立憲民主党の白眞勲参院議員は毎日新聞政治プレミアに寄稿した。日韓関係の悪化について「お互いが相手は自分と同じ感覚だろうと思い込んで、自分の国の物差しで相手をはかろうとする。違いを認めて、違いを楽しもう」と訴えた。

 白氏は「過去だけをみているとお互いが疲れてしまう。つらい過去は大事だけれども、つらいことが1ならば、楽しいことが100ぐらいにしたほうがうまくいく。しかし、今の日韓関係は逆になってしまっている」と指摘する。

 徴用工を巡る問題については「日韓基本条約の一環で解決済み。基本条約を結んだ際、韓国は日本に対して、韓国政府が個人に賠償すると言っていた。韓国政府が答えを出すべき問題で、ボールは韓国側にある」とする。

 また、「日韓基本条約に基づいた請求権協定などによって日本はおカネを出したが、それだけではなく、たとえばソウル大学病院の子ども病棟は日本が支援した。あるいは浦項総合製鉄も新日鉄が支援した。現代自動車は三菱が支援した」として、「日本も韓国が反発しようとも、これは日本がやったということをしっかり言うべきだ」としている。

 そのうえで、「嫌韓」や「嫌中」という考え方について「『自分たちは悪くない。すべてあいつらのせいだ』という考え方はよくない」と言う。

 白氏は「おなかのなかのことをみんな出したら、良い関係になれるのでしょうか。これは日本だけのことではありません。韓国でも同じです」と強調。

 「韓国がもっと日本を批判したら、日本は『はい。すみません』と言うのでしょうか。逆に日本が韓国はけしからんともっと言ったら、韓国は『大変失礼しました』と言うでしょうか。双方ともに発展性が全くありません」と語った。

 白氏は1958年生まれ。父親が韓国人で母親が日本人。2003年に日本国籍を取得した。政治家になるために取得したのではなく、「40年、韓国人の父の国籍で生きてきて、人生80年とすれば残りの40年は日本人の母の国籍で生きようと思い、40歳の時に日本国籍を取得することを決意した」と話している。