子ども権利条約のおかしな点

「子ども権利条約」に限らず、自治基本条例の中に沢山書き込まれている理念の部分にも同じことが言える。次の札幌市長は、本間奈々氏で決まり!



子ども権利条例について考える(本間奈々・札幌市長選立候補予定者)
パーマリンク 2010/12/30 11:23:10 著者: nanahomma メール
カテゴリ: 今の時代を考える, 北海道

いろんなところに顔を出していると、「子ども権利条例についてどう思いますか?」と聞かれることがある。子ども権利条例、正確には「札幌市子どもの最善の利益を実現するための権利条例」のことである。現上田市政における1つの成果だとも言われるし、また一方では否定的な意見も聞くことがある。

これをどう評価するかについては、結局個々の札幌市民の問題になるのであるが、法制的な見方をすれば、まず「条例(法令)事項」に当たるのか、ということが頭に浮かぶ。子ども権利条例に限らず、理念条例については常にこの議論が付きまとう。条例は権力的な手段でもあり、また議会議決事項でもあるので、実効性の確保の問題であるとか、現実的な必要性が吟味されるべきであるし、宣言といった手法でなく、なぜ「条例(法令)」でなければならないのか、という政策法務の視点においても議論されるべきものと考える。その点理念条例というのは空中戦的な議論にしかならないこともあって、私が条例のテキストを策定するに当たっては理念条例を取り上げるのは慎重で基本的に採用することはなかったし、実際法制的に学ぶところは少ない。これは純粋に法技術的な論点のみで見た場合の私の感想である。

もう1つ、条例(法令)として定めるのに適正なのか、という法制的な視点とは別の評価の点、行政の守備範囲なのか、という行政の基本に立ち返った議論として考えてみることも重要であると思う。子どもの権利であるとか、平和であるとか、その1つ1つの文言を見たときに否定するようなところはない。気になるのは、その中に付きまとう、政治、イデオロギーの部分である。行政は中立・公平の立場に立たなければならないといった基本原則と、そもそも、社会意識の醸成・涵養といった部分に、行政がどこまで立ち入ることができるのか、といった節度の部分について、行政に携わるものは深慮が求められると私は思う。

戦時中の思想教育に行政が介入したことが問題とされるのであれば、ほかのいかなる思想であっても、同じ定式が当てはまるはずである。一方は問題で反対の思想であれば良いという合理的な説明はつかない。どちらも考え方が違うとはいえ、政治・イデオロギーに対する行政の立ち位置は同じでなければならない。その点において、行政は謙虚でなければならない。そんな風に私は考える。

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