北朝鮮へ渡るのは難しい(1953年)

詳しい事情は知りませんが、恐らく外交交渉をしていた韓国に対する遠慮が日本側にあったのと、北朝鮮側も(スパイ流入に対する警戒などで)積極的でなかったのではないかと勝手に想像しています。



16-衆-法務委員会-33号 昭和28年08月07日

○岡田(春)委員 ・・・国交回復のできておらない中国との間において、この間からどんどん日本人が帰つて来ている。こういう実例を考えてみても、外国の人であつて帰せばよいのですから、希望しているならば、北鮮であろうと、たとえばソ同盟であろうと何であろうと、帰してあげるのが日本の国としての礼儀だと思う。・・・戦争が終りましてから北鮮に帰している例が二回あるのであります。というのは、昭和二十一年六月に敦賀を出帆して釜山におろして、そのあとで船は清津に行つて、清津で朝鮮人をおろしている。そのほかもう一回あるのであります・・・

○鈴木(一)政府委員 ・・・出入国管理令の建前から申しますれば、日本から退去して、出て行つてもらう、日本にいてもらいたくないということが主眼でありまして、それが北鮮に行こうと南鮮に行こうと、あるいはまた第三国に行こうと、われわれとしてはさしつかえないのであります。従つて、今までは北鮮に送る道がなかつたということで釜山に送つておつたわけでありますが、もし将来そういう道が開かれるということでございますれば、われわれの方としては大いに研究しなければならぬ問題であると考えております

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