浜松事件(1948年)

(若い方には読みにくいかもしれません。旧字体と新字体の対照表がネット上にあります。)

出典はこの場合、「参議院、治安及び地方制度委員会の議事録」で、国会会議録検索システムで原文を入手できます。

2-参-治安及び地方制度委員会-10号 昭和23年04月26日

 新聞等によりまして大體御承知のことと思うのでありますが、濱松におきまして本月の四日の午後四時頃から、市内の中心地の數ヶ所におきまして、朝鮮人側が約二百名くらいと、それから濱松におけるところの香具師の團體であります小野組と申しまする香具師の仲間の者が約二百名ばかり、互いにピストルや獵銃を相當所持いたしまして、そうしてその他の者も棍棒であるとか、或いは竹槍等の武器を持ちまして、大袈裟に申しまするならば市街戰を各所に展開いたしたのであります。その結果、死者が三名出まして、負傷者が十四名出たのであります。死者三名の中、朝鮮人が一名、今の香具師の組であります小野組の者が一名、尚それ以外にそうした爭闘に意識的に參加しておらなかつたところの日本人の市民が、一人死んでいるのであります。そうしてその小野組と申しまするのは、先程申しましたように香具師の集團でありまするが、その組長とせられておりますところの小野近義という者は、濱松市近在の興行師、香具師の仲間に相當の勢力を持つておりまして、子分の二三百名を擁してやりますいわゆる東海の顔役と稱られておる者でありますが、昨年の四月施行せられました縣會議員の選擧に無所屬で出馬いたしまして、當選いたしましてからは、表面的行動を避けておつたのでありますけれども、依然その小野組の實權を掌握している親方であつたのであります。朝鮮人側の方は同市の旭町にありますところの國際マーケツトというものを經營いたしておりますところの、朝鮮人の呉判述という者外數名が、その喧嘩の相手の中心でありまして、その國際マーケツトは昨年の四月頃建設いたしまして、爾來マーケツトの中に各種の商店、喫茶店等を經營いたしまして、通稱闇市と言われているものでありますが、同年八月頃から同マーケツト二階に、ダンスホールを經營いたしておりましたが、その時分から近在及び名古屋、豐橋方面から不良の鮮人が出入するようになりまして、これらの不良鮮人團の集會所、或いは犯罪の巣窟であると呼ばれておつたものでありますが、その兩者の間に、必然的に繩張り爭いを生じまして、互に相反目しておつたのであります。それが昨年の九月には同市における映畫館におきまして、些細なことが發端となりまして、兩者の對立が表面化いたしまして、濱松驛の附近におきまして、互に五六十名の總勢が相對時しまして、血の雨を降らさんとしたのでありますが、この時は迅速な武装警官の大擧出動によりまして、團爭寸前にこれを鎭壓せられたというようなことがあつたのでありますが、爾來兩者の相剋が日本人と、朝鮮人との民族的な感情をも加えまして、極めて深刻なものがあつたということであります。

 そうした遠い原因があつたのでありますが、差当りの近因といたしましては、先に申しましたように、この月の四日に今申しました國際マーケツトにおきまして、午後一時から朝鮮人主催のダンス・パーテイが開催されたのでありますが、そのダンス・パーテイに出席する豫定でありましたところの樂團の關係者であります、いわゆる興行師のバンドの連中、バンド・マスター、バンド・アコーデオン等を奏しますところの人間三名が、自轉車競走に出場するために、その朝鮮人の主催のダンス・パーテイに出席し得なかつた。ところがそのために、そのダンス・パーテイが流會同樣になつてしまつたのでありますが、こういうことは今申しまする小野組側の指圖によつて、わざとこれらの樂團の三名の音樂師が出場しなかつたのであると、こういうように朝鮮人側では曲解いたしまして、この責任は小野組にある、そのためにこの小野組の實質上の實權の把握者でありまする、縣會議員の前に申しました小野近義に物言いをつけるべく、本月四日午後四時頃右小野の經營にかかりますところの市内千歳町に所在しておりまする明治喫茶店に赴きまして、小野を出せと強要いたしましたけれども、同人が不在を幸いに、同店の表陳列臺とか、或いは硝子戸、テーブル等を破壊するような暴行に出たということが、その兩者が喧嘩をいたしますところの發端になつたのであります。それでその喧嘩は四日、五日、六日と三日に亙つて行われたのでありますが、その朝鮮人の暴行行爲に遺憾いたしました香具師、興行師の組でありまする小野組の輩下が、日頃の鬱憤を晴らすはこの時とばかり、各々仲間を組合して報復の準備を整えた模樣があつたのであります。一方朝鮮人側も、小野組からの反撃を豫期いたしまして、仲間との連絡を緊密にいたしまして應戰の態勢を整えました。夜の九時五十分頃にいたりまして、小野組輩下の有力な子分であります本宮某というものの家へ朝鮮人側が樣子を伺いに、朝鮮人七名がピストルを持ちまして同家裏口から侵入いたしましてピストル數發を發牧しましたけれども、このことあるを予期しておりましたところの小野組側からは、それに報いるべく獵銃を發砲いたしまして反撃いたしました。それで朝鮮人はそのまま逃走したのでありますが、それより市内各所に對時しておりました双方主力のものが濱松市の田町、鍛冶町、傳馬町の各所、各地区で衝突いたしまして、午後十一時まで相互に發砲闇爭をいたしまして、ようやく武装警察官が出動をいたしましたので、同日はそれで四散いたしたのであります。その明くる日五日には、小野組のものは、午前十時頃、その親分でありまするところの小野近義外幹部が同人の家に密かに會合いたしまして、飽くまで朝鮮人に對抗して闘爭せんことを決意いたしますと共に、近在の仲間に應援を要請いたしました模樣で、遂次豐橋、沼津、靜岡、清水の方面から應援の香具師共が濱松市に參集いたしまして、總勢力約二百名くらいに達するものと認められたのであります。一方朝鮮人側におきましても、小野組側の反撃に對抗するため、應援朝鮮人が各地より漸次濱松市内に潜入いたしまして、總勢約二百名に及びまして、そうして市内の各所に分散して待ち構えておりました。以上のごとく双方對時の中に午後七時三十分頃に至りまして、朝鮮人側數名が小野近義の家即ち縣會議員の親方の家を襲撃いたしまして、そうしてピストルを発砲いたしましたが、これを契機に再び前日同樣平田町の鐵道踏切附近、松菱百貨店前、海老塚町、千歳町等と飛火しまして、双方衝突し、午後九時三十分頃に至るまでの間に、互しに發砲闘爭いたしまして、双方及び一般市民の死傷者を出したのでありますが、その間午後八時五十分頃田町所在の朝鮮人經營の明月という旅館がありまして、その旅館に小野組の者約十六名ぐらいが襲撃して發砲の上、家財道具、その他を破壊いたしまして、又同時刻頃に旭町という所にあります、先きに申しました朝鮮人經營の闇市である國際マーケツトに、小野組側の者約百名が襲撃いたしまして、その中約三十名くらいが屋内に進入して家財、硝子等を破壊する行爲をいたしました。これに對抗する朝鮮人との間にお互いにピストル、獵銃等を發砲し合つたのであります。最後の六日に至りまして、前項のごとき、先き申しましたような警備警察官の應援増強によりまして、嚴重な警戒と徹底した捜査によつて、徹底した捜査というのは、靜岡縣の警察部の報告書でありますが、向うの報告書によりますと、徹底した捜査によつて朝鮮人及び小野組の双方のその氣勢をそがれて、漸次集結を解いて、外の地方よりの來援者も退去するに至りまして、ここに七日の夕刻になつて四日以來續いた騒擾事件も概ね鎭静に歸するところの状態となりました。七日の晩の九時二十分頃岐阜の方面から連合軍の部隊が百七十二名濱松市に到着いたしまして、この騒擾事件は完全に終息するという結果に見るに至つたわけであります。

 尚この事件に關しましての詳細なる報告書を濱松市の自治體警察及び静岡縣の公安委員会の警察長から入手しておりますから、御希望があれば、後ほど専門調査員室等において御覧を願いたいと思うのであります。それで今申上げまして騒擾のありました明月という旅館であるとか、或いは闇市の國際マーケツト或いは大袈裟に申しまするならば、市街戰をいたしました各所等を、衆議院議員の川合彰武君の案内でいろいろ見て通り、又地方新聞のその實情を實際に見ました新聞記者諸君の話も聞き、又新聞記者の批評家としての立場からの意見等をもいろいろ聽取して参つたような次第であります。

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